山川健一「みんな十九歳だった」- 自分の基盤をつくっている本

講談社文庫を読んだ。「みんな十九歳だった」にはエッセイや批評、ジャマイカの話がのっている。たしか、山川健一という作家に出会ったのもこの本が始めてだった。「不良少年のマインド・ゲーム」という題名の最初の一文に衝撃をうけた。文庫本にして6ページほどの短い文章だ。

人は十九歳の時にそのピークに達するのだ、と僕は思う。

引用:山川健一「みんな十九歳だった」

そのとき、まさに19歳だった。20歳を目前にした19歳だった。その年代でしか読めない作品がある。字面をなぞるだけなら年齢なんて関係ないけれど、心の奥底に突き刺さり、そのあともずっとそれこそ細胞に粘着してるようなものは、そのときの自分の置かれた状況なんかを抜きには語れれないはずだ。

小学生のとき、中学生のとき、高校生のとき、大学生のとき、社会人……。恋をしてるとき、失恋したとき、何かに熱中してるとき、やけくそになってるとき……。もちろん、それは文学に限らず、音楽や映画や美術にも当てはまるだろう。

自分なりに解釈したのはこんな感じだ。

それからもそれなりに変わっていくだろうが、根っこの部分が揺らぐことはない。自分が知ってる自分と自分が知らない自分。いろいろな自分が根っこを形成しているんだろうけど、そんな自分の根幹みたいなものは大切にしよう。岐路にたったとき、選択を迫られたとき、自分の根っこに対して素直になるということはすごく大切なことではないだろうか。

山川健一の作品はほとんどすべて目を通している。「みんな十九歳だった」を読んだあと、ずっと追いかけてきた。代表作といえば、初期なら「さよならの挨拶を」、理屈抜きに熱くなれるのは「ロックス」、短編集は「ブランク・セヴンティーズ」、言葉とエモーションの抑制がとれている「安息の地」あたりが挙げられるはず。

だが、1冊挙げろと言われたら、まちがいなくこの本だ。「みんな十九歳だった」。15ページの冒頭には鉛筆で線までひかれている。

自分の欲望の量と質をはっきりとみきわめること。

引用:山川健一「みんな十九歳だった」

この言葉を二十代前半に心の中で何度くりかえしたことか。テーマソングのようだった。落ち込んだときや滅入ったときに、自らを鼓舞するようにそのリフレインを口ずさんでいた。

どうして? なぜ、そこまで心をとらえるものがあるのか?

一般論として、大まかは2種類あると思う。

ひとつは言葉に出来ないもやもやが自分のなかにあって、その作品が、もしくは作品の一部がそのもやもやを的確に表現してくれていたから、心に響いた。やはり、人は言葉で生きる動物だから、言葉にできないとしっくりこないこともある。

もうひとつは自分の引き出しにないものを提示されたときに気付きを感じたからだ。誰もが未知の領域を持っている。気付かない事柄が大半だ。そんな目の前に出されると、素直に自分へ言葉が入ってくるだろう。

何よりも、思春期にそれこそ胸がキュンとなるような作品に出会うと、小さな子どもはセンチメンタルを学習する。実際はセンチメンタルなんて言葉でひとくくりすることは乱暴なんだけどね。センチメンタルにもいろいろな種類があると思う。でも、センチメンタルを教えてくれたものに対しては自分でも驚くぐらい従順になってしまう。

HE WAS NINETEEN AND IWAS ….

「みんな十九歳だった」の文庫本にはこんなフレーズが書かれている。小難しく書きすぎてしまった。少し反省。おそらく話は実は単純だ。アルバムの1曲目のイントロが「かっこいい!」。脳内麻薬が一気に出てくる感じだったんだ。きっと。

家にある「ロックス」の文庫本には山川健一のサインが入っている。宝物だ。もちろん、19歳から、振り返るのも恐ろしい年月が経ったけれど、全くといっていいぐらい内面は成長していない。もし、「みんな十九歳だった」を19歳の頃に読んでいなければ、どうなっていたんだろう……なんて考えることもない。

続く……

山川健一の小説「ロックス」の話だ。写真は1988年に出された集英社文庫。しばらくして絶版。1999年に再販されるとき、雑誌「ルーディーズ・クラブ」でファンレターみたいなものを募集して...