2010年8月21日の、ささやかで、わがままな、恩返し

これが4つに分けたテキストの最後だ。ひとつ前に書いた「日記のようなもの」には後日談がある。正しくは恩返しだ。2010年に京都でライブを企画した。メインは山川健一。ご本人のブログ上で、声をかけて、Gtの方とmixi上でやりとりをした。

講談社文庫を読んだ。「みんな十九歳だった」にはエッセイや批評、ジャマイカの話がのっている。たしか、山川健一という作家に出会ったのもこの本が始めてだった。「不良少年のマインド・ゲーム」...
山川健一の小説「ロックス」の話だ。写真は1988年に出された集英社文庫。しばらくして絶版。1999年に再販されるとき、雑誌「ルーディーズ・クラブ」でファンレターみたいなものを募集して...
昔、日記を書いていた。大学ノートに安いペンで。もちろん手書きだ。正しくは「日記のようなもの」。1989年の8月20日の「日記のようなもの」が「人生に影響を与えた1ページ」になった。そ...

約20年前の感謝。その返答だったつもりだ。20年前と同じ金額設定で企画をたてたのは、もう完全に主催者である、わたしのエゴ。対バンも京都の知り合いで固めた。宿泊先、お迎えから、ライブは当然、二次会&三次会も。そして、翌日の京都観光まで。今度は最後の最後まで付き合った。何よりもステージに乱入して一緒に歌った。完全に主催者の我儘なお願いだった。

ライブ以降も健さんが京都へ来る際には声をかけてもらったりして、2010年の夏のライブ企画から親しくさせてもらっている。小説もバレた。会って、いきなり説教。その年の終わりまでに送って来なさい、と。まだ、その頃はアメーバブックスの編集長だった。しかし、下鴨神社近くでみたらし団子を食べながら話すことではないよね。

もちろん、約束は守った。驚かさなければと思い、原稿用紙100枚ぐらいの小説を2作送った。しばらくして、的確なメールが返ってきた。しかも、長文。結論は「文学の世界へ戻れ」。健さんの言いつけは守らないといけない。そう、思った。

で、第2稿を悩んでいる最中に、あの地震と津波があった。2つ送ったうちの1つ。最後の方に地震が出てくる。精神的な地震なのだけど、迷った。第2稿が書けない。まだ、放置したままだ。アドバイスとしては、原稿用紙100枚分ぐらいのやつを250枚ぐらいにしろ、だったけれど、どうしても手がつけられず無理だった。

約束を忘れたわけじゃない。文章のリハビリをして、文学の世界に少しずつ戻る。これが約束だった。守らないとね。20代では表現できなかったことが書けるはず!という優しい説教にもらった。また、それに対して恩返ししないといけない。新しい約束だ。

しかし、本当に成長していない。19歳のままだと実感する。自分の中心にあるものはまるでそのままだ。おそらく、変わりようがないってことを身体の奥底から自覚して、文章を綴っていくしかないんだろう。

それでも、いろいろと邪魔が入る。人生経験というか、社会での人間関係があまり良くない影響をしているような気がする。ベクトルが違うのかな。創作はエゴイストであるべきだ。そう、思っている。知らないあいだに「19歳」に埃と汚れが付いているのかもしれない。

それを取り払うのがリハビリだ。想像以上に苦しい。言い聞かせているのは、たった一度の人生なら信じたことは最後までやり通そうぜ……だ。悔やんだり、思い残したまま、あの世には行きたくないからね。

3人組の女の子とは、たまにライブ行ったりとかしていたけれども、就職や転職、引っ越しなどが重なって、今では連絡もとれない。ときどき、どうしているのかな?と、こんなテキストを書くと思うときがある。ライブを企画したときも来てくれないか?と少しばかり期待した。でも、ダメだった。かなり残念。

ただ、ライブを企画したおかげで、いろいろな人たちと出会えた。その交流は今も続いている。まあ、お客様だったわけだけど、ものすごく感謝された。感謝はこちらですよ、と言いたいところ。TwitterやFacebookで繋がっているし、たまに連絡をくれたりもする。有り難いことだ。

文学の世界へ戻れたかどうかはわからない。ものすごく遅筆だし、書けば書くほど自分の無能さを知るばかりだ。それでも、書き続けることが大切なんだと思っている。「Keep on Rolling! 」。それしかない。才能のない凡人は転がり続けるしか進みようがないんだろうね。