ふたりの奇才+マジックリアリズム→アルバム「ブッシュ・オブ・ゴースツ」

1981年、ブライアン・イーノ&デヴィッド・バーン(Brian Eno & David Byrne)名義のアルバム「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ(My Life In The Bush Of Ghosts)」が発表さた。動画は権利の関係で再発盤から削除された曲「Qu’ran」。

アフリカの土着音楽と最先端のサンプリングを混ぜた、現実と空想の境目がないようなサウンドにはヒトの芯を揺さぶるような音が詰まっていた。

「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」と「リメイン・イン・ライト」

1979年の末。トーキング・ヘッズ(Talking Heads)のフロントマンであったデヴィッド・バーンは2ndアルバム「モア・ソングス(More Songs About Buildings and Food)」でブライアン・イーノをプロデューサーに迎えた。

初期のロキシー・ミュージック(Roxy Music)に参加していたブライアン・イーノは数作のソロ・アルバムを発表したり、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)のベルリン三部作をプロデュースしていた。

それからの流れを時系列でみると、こんな感じだ。

1979年4月から5月にかけて、「Fear of Music(フィア・オブ・ミュージック)」トーキング・ヘッズのレコーディング。ブライアン・イーノ、プロデュース。

1979年8月3日、アルバム「Fear of Music(フィア・オブ・ミュージック)」発売。

1979年8月から1980年10月にかけて、「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」のレコーディング。

1980年7月から8月にかけて、「リメイン・イン・ライト(Remain In Light)」トーキング・ヘッズのレコーディング。ブライアン・イーノ、プロデュース。

1980年10月8日、アルバム「リメイン・イン・ライト」トーキング・ヘッズ発売。

1981年2月、「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」発売。

単純にいうと、「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」の方が先に録音されたけど「リメイン・イン・ライト」の方が発売は先だった、ということだ。この2作は表と裏ではなく、兄弟……まるで双子の兄弟のような関係にある。

エイモス・チュツオーラの小説「ブッシュ・オブ・ゴースツ」

「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」というタイトルは同名の小説からとられた。作者はアフリカ、ナイジェリアの作家であるエイモス・チュツオーラだ。1954年に書かれた。代表作としては「ブッシュ・オブ・ゴースツ」以外に「やし酒飲み」などがある。

彼の作品郡はよく「アフリカのマジックリアリズム」と呼ばれている。マジックリアリズムの代表作といえば、ノーベル文学賞を受賞したガルシア=マルケスの「百年の孤独」。マルケスはラテン・アメリカに位置するコロンビアの作家だ。

マジックリアリズムとは現実と非現実が、日常と非日常が融合した表現のことで、
小説を読み進めていくと、どこからが本当の現実でどこからが虚構なのか分からなくっていく。普通に、空に浮かんだ雲が喋ったり、地面を這う蛇が飛んだり、蝶が精霊に変わったりする。

シュルレアリスム(超現実主義)と似ているが、マジックリアリズムは伝承や神話を背景にしているものが多い。それぞれの土地に過去から根付いた「物語」をベースにしている。

デヴィッド・バーン(David Byrne)

トーキング・ヘッズ(Talking Heads)はニューヨーク・パンクの聖地ともなったライブハウス「CBGB」出身のバンドだった。1977年、「サイコ・キラー’77(Talking Heads:77)」でデビュー。シングル「サイコ・キラー(Psycho Killer)」の売れ行きは今ひとつだったが、当時は、ニューヨーク・パンクの残党、ニュー・ウェイヴの旗手として評価されていった。

このデビュー盤。現在、聴くと、音はスカスカでなぜニューヨーク・パンクとして受けいられていたのか不思議な感じがする。あえて言えば、ロンドン・パンクと比較してインテリっぽい雰囲気が、そう思われていた理由なのだろうか。

トーキング・ヘッズは独自の変化に富んでいたバンドだ。3枚目のアルバムでは、解散宣言をしていたキング・クリムゾンのロバート・フリップをゲストにしたアフリカン・ファンクを、「リメイン・イン・ライト」ではアフリカ的なポリリズムを導入している。

ポリリズムとは、違う拍子が、ひとつの曲に混ざり合ったものだ。独特のグルーヴ感が生まれる。アフリカ的なポリリズムは、より打楽器を強調したものと言えるだろう。おそらく、これらはブライアン・イーノの影響を受けていたと考えられる。

ブライアン・イーノ(Brian Eno)

ブライアン・イーノは初期のロキシー・ミュージックに2枚のアルバムで参加していた。ロキシー・ミュージックを脱退後、まず、グラムロック寄りのソロアルバムを2枚出し、1975年には名盤「アナザー・グリーン・ワールド(Another Green World)」を発表した。

1978年にはその名の通りの「アンビエント1/ ミュージック・フォー・エアポーツ(Ambient 1: Music for Airports)」を発売する。ニューエイジ・ミュージック、アンビエントの誕生だった。

そんな彼がアフリカ的なポリリズムを突き詰めて、もうひとりの奇才を巻き込んだのが「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」だ。実際、このアルバムの録音は西インド諸島のバハマで録音された。

27年ぶりに共作した「エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ(Everything That Happens Will Happen Today)」

2006年に「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」のリマスター盤が発売された。ボーナストラックが加えられたが、コーランを唱える人たちのサンプリング音が消えていた。様々な事情があったのだろう。もちろん、そこには911事件の影響もゼロではなかったはずだ。

2008年にはふたりの共作である27年ぶりのアルバム「エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ(Everything That Happens Will Happen Today)」が発表された。

大方の予想に反して、全曲がボーカル入りの良質なギターポップだった。ボーカルが入っているという普通のことが驚き……というのは不思議な話だけれど。

レコーディング技術は進歩した。1981年では信じられないくらいの進歩だ。ただ、ふたりの奇才が放ったアイデアは機械の技術とは関係がない。今でも、アフリカの土着的な空気を具現化したポリリズムとアナログのサンプリングを掛け合わせた音の集合は、聴いているヒトをDNAレベルで揺さぶる。