イギー・ポップの「イディオット」を聴きながらイアン・カーティスは最期に何を思った

イアン・カーティス(Ian Curtis)のラストライブは音源化されている。ジョイ・ディヴィジョンの「スティル(Still)」だ。1981年、告知よりも少し遅れた10月に発売。未発表のテイクに、バーミンガム大学でのラストライブを加えたアルバムで、すでに亡くなってから1年以上の月日が流れていた。

全20曲。そのうちライブが11曲を占めていた。「シスターレイ(Sister Ray)」。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカバーだ。ヴェルヴェッツの2nd「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート(White Light/White Heat)」に収録されている。さすがは思春期にルー・リードやイギー・ポップ、デヴィッド・ボウイに憧れたイアン・カーティスらしい選曲だ。

1980年5月18日、イアン・カーティスは自宅で首を吊った。

イギー・ポップの「イディオット(The Idiot)」がレコードプレーヤーには置かれたままだったそうだ。彼は最期にイギー・ポップを聴きながら、あちらの世界へと消えていった。

ジョイ・ディヴィジョンはモノクロームが似合うバンド

ジョイ・ディヴィジョンにはカラフルな色のイメージがない。白黒が似合っている。ジョイ・ディヴィジョン名義として発表されたスタジオ・アルバムは2枚だけだった。1979年の「アンノウン・プレジャーズ(Unknown Pleasures)」と1980年の「クローサー(Closer)」。 このジャケットのデザインにもモノクロームな印象を抱いてしまう要因があるだろう。

加えて最大の原因は、イアン・カーティスの朗読でもしているような低い声と、文学的な、しかも、救いようのない孤独や絶望にあふれた内省的な歌詞だ。特に歌詞は同世代のポストパンクや後のオルタナティヴロックに多大な影響を与えた。ただ、こんな暗いアルバム、大多数の大衆ってやつに売れるはずもない。

それでも、イギリスのインディーズチャートでは1stも2ndも共に1位。「クローサー(Closer)」は彼の死後に発売されたのでそこそこ売れるのは理解できるが、「アンノウン・プレジャーズ(Unknown Pleasures)」までとは……このような音楽を受け入れられる土壌のあった、当時のイギリスが羨ましい

人生の順序を間違えたイアン・カーティス

イアン・カーティスの人生を時系列に沿って切り取ってみる。

1975年。19歳でデボラと結婚。高校時代に音楽への道を夢見るが、安定した職種を求めたのか公務員になる。現実的な選択というやつだ。

1976年。セックス・ピストルズの演奏に衝撃を受け、本格的なバンド活動を始める。

1978年。バンド名を「ジョイ・ディヴィジョン」にして、インディーズ・レーベルと契約。

1979年。娘が生まれる。1stアルバム「アンノウン・プレジャーズ(Unknown Pleasures)」を発売。仕事を退職し、バンド活動に専念するが家庭での仲違いは深まっていった。持病の悪化と共に悩みは増えていく。

同じ年に、ベルギー人の愛人が出来た。いわゆる現実逃避だ。ヨーロッパツアーに帯同させるなど、バンドのメンバー公認ともいえる存在だったようだ。

1980年、ヨーロッパツアーを終え、そのままイギリスツアーをこなしながら、2ndアルバム「クローサー(Closer)」のレコーディングに入る。過密な日程がさらに彼を蝕む。

1980年4月、シングル「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート (Love Will Tear Us Apart) 」を発売。

限界に近づいてきたイアン・カーティスはツアー中、処方されていた抗てんかん薬を大量に飲み、自殺未遂をする。命に別状はなかったものの、すでに音楽への、バンドへの情熱は消えていた。

同年5月。それまで友人宅を転々としていた彼は、デボラと離婚の話をするために自宅へ戻ってくる。話し合いは結論が出ず、デボラは娘ナタリーを連れて実家へと帰っていった。

翌日の5月18日。デボラが自宅に戻ってきた時にはすでに彼はこの世にはいなかった。23歳、あまりにも早過ぎる死だ。

ひとつでも、たった、ひとつでも人生のピース(欠片)が違っていたら、こんな結末を迎えなかったのかもしれない……そんなふうに感じてしまう悲劇だ。

ジョイ・ディヴィジョンとしての鎮魂

皮肉にも、シングル「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート (Love Will Tear Us Apart) 」はイギリスのチャートで最高13位とスマッシュヒットした。

ジョイ・ディヴィジョンは残った3人を中心にニュー・オーダーとバンド名を変え、エレクトロ色を強めていった。1983年、2ndアルバム「権力の美学(Power,Corruption&Lies)」と先行シングル「ブルー・マンデー」でニュー・オーダーとして完全に脱皮する。

それでもイアン・カーティスの亡霊はつきまとった。

1988年にアルバム「サブスタンス(Substance 1977-1980)」をジョイ・ディヴィジョン名義で発売。それに先立って「アトモスフィア(Atmosphere)」の再シングル化と、ミュージックビデオを発表した。まるでレクイエム(鎮魂歌)のような映像だ。イアン・カーティスに向けて、ジョイ・ディヴィジョンに向けて。

イギー・ポップを聴きながらあの世へ逝ったイアン・カーティス

最期に聴いていた「イディオット(The Idiot)」はイギーポップ復活の初ソロ・アルバムだった。デヴィッド・ボウイがプロデュース、というより救いの手を差し伸べた……といっていい作品だ。残念ながら、イアン・カーティスにはデヴィッド・ボウイのような存在はいなかった。

もしかすると、誰か、助けてくれないかな?憧れのイギー・ポップみたいに……と、服用した薬によってぼんやりした頭でイアン・カーティスは思っていたのかもしれない。最期まで孤独だった。いや、孤独への井戸に自ら入り込んでいった。

時間は残酷だ。決して戻ることはない。ターンテーブルの上にあるLPみたいに何度も針を落として聴くことはできない……それが現実だ。せめて、向こうの世界でルー・リードとの「シスターレイ(Sister Ray)」共演が実現していることを祈っている。それぐらいは叶えてあげて欲しい。