小説も映画も世界観がホラーショーな「時計じかけのオレンジ」

原題は「A Crockwork Orange」。たしか、名画座で「未来世紀ブラジル」と2本立てで観た。もちろん、その頃のは修正付きのやつだった。いろいろと記憶は怪しいけれど。アントニイ・バージェスの小説は先に読んでいた。それだけは確かな記憶だ。

まあ、とにかくかっこいい。ホラーショー(これはロシア語のハラショーが元)だ。暴力とSEXと……なのでかっこいいという表現は適切じゃないかもしれないけど、それでも、やっぱりかっこいい。そんな表現しか思い浮かばない。これをかっこいいと言ってしまうのは危険なことかもしれない。多少の語弊や誤解があってもいい。それでも、それでも、その言葉しか出てこない。

原作の小説はアントニイ・バージェスなので原題を含めて、もっと風刺的な意味合いが強いのかもしれない。精神さえも管理された近未来小説。そんなふうに一文でまとめてしまうとバージェスから皮肉たっぷりの侮蔑が返ってきそうだ。まあ、映画に関しては、キューブリックがかっこよさを強調してしまったきらいは否めない。

ナッドサッド語。「時計仕掛けのオレンジ」に出てくる特殊な造語だ。ホラーショー、クラスと、ドルーグなんかがその代表。造語ってひとつ間違えるとひとりよがりな部分が目立って失敗することもあるけれど、この作品の場合はかなり徹底しているので、ある意味強烈に響く。これは原作の通りだ。

映像美。例えばセットとかコスチュームとか。アレックスの白い服に黒い帽子、そして目。あとはミルク・バー。サイケデリックな雰囲気に満ちたあの店内。この作品がつくられたのは1971年。T.Rex名義のアルバム「電気の武者」を出したのがその前年。BowieがZiggyを出したのはその翌年。The Sex Pistolsが出たのはずっとあとの1977年。そんなふうに考えると映像に対する想像力はとてつもなくすごい。

キューブリック監督の主な作品はこんな感じだ。

「ロリータ」(1962年)
「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1964年)
「2001年宇宙の旅」(1968年)
「時計じかけのオレンジ」(1971年)
「バリー・リンドン」(1975年)
「シャイニング」(1980年)
「フルメタル・ジャケット」(1987年)
「アイズ・ワイド・シャット」(1998年)

どれもが異色な匂いを放っている。そう、ふつうのSFではない、ふつうの文藝作品ではない、ふつうのホラーではない、ふつうの戦争物ではない……。少しずつ、そんなふつうとずれている。ふつうの感覚とずれている。

ふつう?

この場合のふつうは、決して人間の深淵まで入り込まない、表層だけの感情が揺れ動いているもののことだ。

キューブリックの映画に嫌悪感をおぼえる。それはふつうの感覚をもった正しい感想だと思う。実際、上記の作品はどれも0点か10点満点、それのどちらか。「時計じかけのオレンジ」の場合、キューブリック作品の中でも極端に評価が分かれると思う。周りにも二度とみたくないって感想をもらす人がいっぱいいた。「2001年宇宙の旅」も同じように、ワケ分からないし頭が痛くなる。そんなことを言う人もいた。

そう。だって、深淵をみせられたら誰だってイヤだもの。身体が拒否するんだろう、きっと。もしかすると自分のなかにもそんな自分がいるかもしれない。そんな想像は自分が罪人になったような気になる。そんなふうに感じるのはやっぱりイヤだからね。見たくないものに目を伏せる。それは自然な拒否反応だ。ハッピーな物語を見たい。そんな願望も、現実の世界がアンハッピーである裏返しのような気もする。

近未来の人類に「あの頃の人間は……」なんて軽蔑される可能性はゼロではない。

※幻の最終章(第21章)を追加した完全版……映画とは一味違うエンディングだ