谷崎潤一郎「文章読本」の味わい方 – 前書きはイスに座って呑む

これは谷崎潤一郎「文章読本」の読み方を自分なりに解説したメモだ。「文章読本」には何のタイトルも付けられていない序文がある。わずか1ページほどの分量しかない。「文章読本」を読む前の心構えみたいなものが書いてある。

この読本は、いろいろの階級の、なるべく多くの人々に読んで貰う目的で、通俗を旨として書いた。

(引用:谷崎潤一郎『文章読本』中央公論社「中公文庫」改版1996年、P.3)

谷崎は一般ピープルにも読んで欲しいと思っていたようだ。「通俗」という言葉を選んだところに、その思いが込められている。「文章読本」が出版されたのは1934年(昭和9年)だ。文章を嗜む割合がどれくらいだったのかは想像できない。おそらく人口としては少なかったはずだ。

ちょっと調べてみる。

昭和10年国勢調査(e-Stat 政府統計の総合窓口)では日本の総人口が6925万4148人となっていた。意外に多い。文字を読み書きする人口を現在とくらべれば、もしかするとそんなに変わらないのかもしれないけれど。それでも、活字に対しての飢えは現在よりも上だったように思う。「文章読本」がヒットし、さまざまな批評に晒され、川端康成や三島由紀夫までもが自身の「文章読本」を書いたのは決して文壇だけの盛り上がりだけではなかったはずだ。

私は、自分の長年の経験から割り出し、文章を作るのに最も必要な、そうして現代の口語文に最も缺けている根本の事項のみを主にして、この読本を書いた。

(引用:同上)

「文章読本」を手に取る読者の層は大きく分けると2つだろう。「文章を読む人」と「文章を書く人」だ。もちろん、両方ともに当てはまるタイプもある。ただ、谷崎はこの序文で、文章を作る側の本であることを明言している。さらりと読み飛ばしそうな部分だけれども、この本全体を語るときに重要な立ち位置だと思う。

「缺」は「欠」の異体字だ。最も欠けている根本は、言い換えれば、こんな感じになるだろうか。文章を書く人が意識の底に置いておくべきことがメインになるんだよ……私がいろいろな小説を書いてきた経験からくる……ね。続けて、谷崎はこのような文を繋げている。

その他の細かい点、修辞上の技巧等については、学校でも教えるであろうし、類書も多いことであるから、ここには説かない。

(引用:同上)

修辞。レトリックだ。文章を構成する要素のテクニックは書かないと宣言している。「文章を書く人」からすれば、谷崎の美学を知る一端にもなりそうな技法を知りたいところだろう。だが、実に谷崎は潔い。この「文章読本」がロングセラーを続ける理由は精神的な部分にウエイトを置いたからだろう。

「文章読本」をバラバラにして自分なりの解釈をしていこうと考えたのは、この精神的な部分を深く探りたいと思ったからだ。本文から引用していけば、おそらく普通に読んでいたときには気が付かなかったことを見つけられるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、webに文字を叩いている。

レトリックに関しては谷崎潤一郎「文章読本」を読み終わってから、別の本で試す予定だ。そんな気力が残っていたら、という仮定の話だけれど。